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2012年1月18日水曜日

ノスタルジック・カリンバの解説

久しぶりに解説を書くのである。カリンバはアフリカでは身近かな素材でつくっているので、それに習い廃品から主に調達しています。今日では、パソコンも捨てる時代になりましたね。中を開けると、これが廃物かと思うくらいに部品の宝庫です。

前回作サーカスカリンバを振り返りますと、ボディはハードディスクでした。厳重に密封された亜鉛箱のネジをはずし先に進むと、「開けたら死ぬよ」みたいな文言が英文で書いてありました。
「死ぬ」とはハードディスクのことなんですが、テレビでは電源オフでも残留電気で危険な箇所もあるので、すこし注意深くアークに迫るのであります。最後のネジをはずして、棺の蓋を開けるとまばゆいばかりの反射光が、、、。完全密封された空間の中に鏡のような円盤がありました。捨てるにはあまりにもったいない輝きでした。

今回のノスタルジック・カリンバも、前作と同様にカリンバの顔にあたる透き通ったアクリルは液晶画面です。アクリルというのは、お店では結構お高いのであります。それに傷つきやすくて、常にそっとやさしく気を使わなくてはならず、木に比べたらとても扱いづらい。電動工具なんて使おうものなら、歯にべったりとまとわりついて、不思議なことに切った途端に後ろから飴のように再びひっついてくる。

「お高くとまっていて、傷つきやすく、扱いづらい。周りにまとわりついて、切ってもなかなか切れない。べたべたを好む」。賢明な諸君はなんか思い当たるでしょう? そう、そうなんですよ。でもね。いいところがひとつあるんです。
美しい。
いくぶん人工的ではありますが、透明度はガラス並みであります。しかも、ガラスほど短気に割れたりしませんし、可能姉妹ほど下品ではない。あれっ、なんでここに姉妹が出てくるんだろうか?  
でっ、まあ、話をもどしますと、やっぱり、美しさには負けてカリンバになってもらったわけです。白い点々のソバカスは液晶パネルの名残りです。

丸いガラス鉢の反響ドームを付けて、巣箱にみたててみました。本物のタマゴの殻の横には古い写真、そして懐中時計が昔と現代の時の架け橋といったところでしょうか。写真の、はにかみながらこちらを見ている温厚そうな少年は、なんとあたくしであります。

上部には彼の小学校の成績表を添付しましたので、よーく、ご覧ください。「図画・工作」の欄に「 1 」とあります。「いち」です。「クラスで一番」の①ではありません。最高五点の採点法で「1」なのであります。すごいものであります。いくらなんでも、なかなか「1」はとれません。どんなに下手になろうとがんばっても、たいていは「2」に納まってしまうものですが、彼はがんばりました

しかも、右下の記録では一学期から三学期まで美術部に入っているというのです。
うーむ、、、。
あの日を思い出します。先生が版画の板を配りながら言いました。
「絵は見えるものを描かなくてもいい。頭で想像して描いてもいい。世の中にないものを描け。なんでもいい」
そこで少年は考えました。ならば、「ひとつ目小僧」を描こう。下絵が出来て彫りはじめた時でした。突然、後頭部に激痛が走りました。
振りかえると先生が、
「なんだ、これは!  お前のこんどの通信簿は 1 だ!」
かしくて、なぐられた痛みとともに、人生に記念碑となる名誉の「1」を賜ったのであります。それにしても、前後の成績も「2」だなあ。よほど嫌われていたらしい。

あまりいいたくないのですが、その後のあたくしはゲイのつく大学を出まして(といってもニューハーフではなく)、いくつかの会社の制作セクションを回り、美術関係の仕事で糊を口にしてまいったのであります。
思い出がいっぱいのカリンバ。
音階も独自のものを施し、その甘美な音色とともに時の流れにひたるあたくしであります。

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